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社員インタビュー#1 相原ロブソン
2022/08/26
相原ロブソン

日本人の父とブラジル人の母を持つ相原ロブソンさんは、小学三年生の時にブラジルから日本に来ました。そこで環境の違いや言語の壁、そして伝わらない事へのもどかしさを体験します。
幼少期に感じた様々な〈違い〉は、今の仕事に繋がる、重要な気付きをもたらす事になったようです。

 −まずは、相原さんのパーソナリティからお伺いします。プロフィールや生い立ちを教えてください。


ブラジルの南部のパラナ州の州都のクリチバ市で生まれました。クリチバ市はサンパウロから車で6時間程度のところにあります。州都なので、ビルもあったりするので、レストランに行ったり、バーに行ったり、車で海に行ったり、ブラジルの中では都会的な暮らしの方だったと思います。同じ都会でも日本の都会と違うのは、どこの家にも庭にバーベキューオーブンがついているので、家族でバーベキューをしたりして過ごすのが当たり前でした。


 −どんな両親でしたか?


父は愛媛出身の日本人です。母はブラジル人です。父はサッカーをしていて、プロにスカウトされたこともあるようで。ブラジルの大学へ進学して、そこで母と出会ったそうです。

父は真面目で寡黙なタイプなのに、母はこっちが黙っていても喋るぐらい陽気で。日本人が思い描くブラジル人に近いと思います(笑)。 タイプが違うから相性が良かったのでしょうね、よく話している姿が印象に残っています。まぁ一方的に母ばかり話していましたけど(笑)。 電気のプラスとマイナスみたいなので違うからこそ結婚したのかな〜、と思っています。


 −兄弟は?


弟と2人兄弟なのですが、彼はシカゴでエンジニアをしています。


 −日本に来たのはいつですか?


小学校3年生の頃、両親と一緒に仕事の関係で日本に来ました。


 −当時に感じた、日本の印象を聞かせてもらえますか?


日本はブラジルと違うところが多く、びっくりしました。

例えば、ブラジルの学校は、午前だけに行くか・午後に行くかなので、まずそこに驚きました。当然、給食はないので、学校でご飯食べるんだ、みたいな。学校の中でクラブ活動みたいなものもブラジルではありません。
設備についても、運動場、プール、図工室、美術室、家庭科室...みたいに、日本の学校は設備が充実していますよね?そこもブラジルとは大きく違い、その設備の充実感に驚きました。


 −子供だったからこそ気が付けた違いですね。


そうですね。日本では、子供だけで外出や通学ができるというのも違います。ブラジルでは治安が悪いので、学校が終わって、子供だけで遊びにいくなんてこともありません。日本ではこんなに自由にできるなんて、とワクワクしました(笑)。 日本に慣れてくると、友達と外へよく遊びにいきました。


 −日本にきて苦労した事はありますか?


一番苦しかったのは、やはり言葉が分からない事です。
初めは、学校に行ってもテレビを見ても、何を言っているのか分からないから楽しくなかったです。話せるようになるのに半年間はかかった覚えがあります。今でも思うのは、その最初の半年間で親友ができた事が本当に幸運でした。遊びながら言葉を覚える事ができたので。読み書きに関しては、9年後の18歳まで自信がありませんでしたけどね。


 −やはり言葉の壁で苦労されたのですね?


はい。特に中学は勉強が遅れてしまっていたので、一番苦しい時期でした。小学校の頃、周りのみんなは漢字をやっているのに、自分だけは、『あいうえお』で。どうしたって中学にあがると実力主義になってくるので、追いつくのに必死でした。なんとか、高校に入れはしましたけれど、選択肢についてはかなり絞られてしまったなと思います。


 −そこから本格的に語学の勉強をされたのですか?


高校に入って真面目にやっていたこともあり、大学受験の頃には、推薦で入学し、英語学部で英語を学びました。ちょうど、高校三年生の頃に、叔父が住んでいるアメリカ・シカゴに遊びに行って、そこで衝撃を受けて、英語を学びたいな、と思ったんです。
子供の頃に言葉が通じないもどかしさを感じた事は、もしかしたら影響しているかもしれません。


生まれ育った環境や言語の違いを受け入れる事に対して、相原ロブソンさんはとても柔軟な感覚を持っていました。だからこそ巡り会い・発展させられた、コミュニケーションを繋ぐ、今の仕事があるのだと強く感じられました。


 −では、次にポリグロットリンクという会社や、そこでの仕事について。相原さんは会社設立から一年での入社、通訳センターの初期メンバーとしての率直なお話を聞きたいです。ポリグロットリンクへ入社した経緯から教えてください


3言語(英語、ポルトガル語、日本語)が活かせるバイトを探していて、派遣の登録をしたら、面接先として紹介してもらいました。二見さんと橋本さんから面接を受けて、「なんでこのバイトをしたいですか?」と言われ、「トリリンガルのスキルを空いている時間に活かしたい」というお話しをしたところ、じゃあ、勤めましょうか、ということになり、入社しました。


 −何か決め手になるような事はありましたか?


その時、私から条件を提示して「自分のポリシーとして、ヒゲは絶対にそりたくない」という話をしましたね(笑)。 ちなみに、他の会社も、面接を受けていたのですが、同じようにヒゲを剃りたくない、と伝えたところ、それはダメだと言うことで断られてしまいました。私のヒゲはトレードマークなので、そこは譲れないんです。


 −入社当時の話を聞かせてもらえますか?


入社して当初は、メンバーに通訳者は7人だけしかいませんでした。7人だけで仕事をしていたので、社風なども、まだ、特にありませんでした。そんな中で自分は「もっとできるのに!」とモチベーションが高くて、何かできることないですか?とずっと言ってた記憶があります。始めてから、この仕事の楽しさや遣り甲斐を知っていきました。


 −社内はどんな様子でしたか?今とは違いましたか?


そうですね。少しずつ、みんなで変えていった印象です。入社してから半年後にオフィスと通訳センターの事務所が一緒になったのですが、パーテーションで仕切られていました。同じオフィスなのに別の会社にいるような感じでした。

同じ会社のメンバーだな、と感じられるようになったのは、そこから少しずつコミュニケーションが取れるようになってきてからです。文字やレポートを通してしか現場のいい事も悪い事も伝えられなかったのが、どんどん同じチームとして連携が取れてくるようになってきました。

結局はコミュニケーションを取るのが大事なんです。
定期的に年2回忘年会や新年会などもするようになってきて、交流が深まってきて。ボトムアップの意見も迅速に拾ってもらえたり、仕事にも良い影響が出てきたように思います。


 −自分が会社や仕事を作っている、という自負を感じました。相原さんは自身もそう思っていますか?


はい。自社通訳センターの初期メンバーとして携わることができ、43人の通訳組織に成長させてきたという実感があります。


 −仕事において達成感や遣り甲斐を感じた話を聞いてみたいです。


最近ではブラジルセンターの立ち上げを任せてもらえたのは大きいですね。
コロナになったこともあり、英語とポルトガル語が一番入電数が多い言語ということもあり、コストを削減する意味でもブラジルにセンターを置いたらどうか、という話を僕がしたところ、じゃあ、社長から、やってみようか、と言われて。

やると決まった時は、成果を出してやろう、絶対に結果を残してやろう、という意気込みがありました。やると決まってからは、2ヶ月でブラジルセンターを立ち上げ、1年が経った今、14人体制のセンターまで成長しました。


 −では別の角度から、お客様に対しての遣り甲斐はどうですか?具体的なエピソードなどあると嬉しいですね。


外国人と日本人が揉めている時の通訳は印象に残りますね。

例えば、交通機関で新幹線の切符を落としてしまったという外国人の方がいて、再発行はしない、という規約でした。失くしました、と言って、恋人や友達に渡してしまい、もう一枚発行するという事案もあるので、そういう規約があるのは分かります。ただそれは、外国ではありえない事なんです。外国では返金やキャンセルができる事が当たり前の文化なので。金額も大きいので、かなりお怒りになるわけです。


 −確かにそれは日本だけで暮らしてきた側からは、気が回らない問題ですね。


そういう時は、だいたい、話が平行線で進まないので、交通機関さんに「僕から話していいですか?」と提案し、承諾をもらったら、自分の言葉でその外国人の方へ話をします。

それまでは、あくまでも仕事としての話し方をするのですが、そこからは人と人との会話です。「僕たちは日本に来ている。だから、日本に来ている以上、日本のルールに従わなければならない」という事を、同じ外国人だからこその立場に立って、説得します。もちろん相手が何に対して怒っているのかも聞きます。そうこうしている内に、だんだん怒りがおさまってきて、それまで一向に話が進まなかった状況が歩み寄ってきてくれるようになる。そうなったら、交通機関の方へ、その話をして、解決する。その時の達成感は、一番、この仕事をしていてよかったな、と思える時です。


言葉を伝えるというのは気持ちを伝える事だと、これまでの自身の経験から、相原ロブソンさんは教えてくれました。〈違い〉を知っているからこそできる通訳という仕事への想い、現在の環境、そして、これからの仲間へのメッセージを伺いました。



 −まさに〈通訳〉という仕事の醍醐味ですね。これから一緒に働く事になるメンバーには、どんな心持ちで〈通訳〉という仕事に臨んで欲しいですか?


さまざまな状況下で、当事者同士の耳となり、口となり、言語の壁を超え、人のために働ける事に誇りを持ってもらいたいです。僕らは日本で生まれた訳ではないので、言葉の壁を経験しています。言葉の分からない人達のしんどさがよく分かるんです。伝えたいこと、聞きたいこと、そこにもどかしさを感じます。
情報源が限られてくると、生活も制限されます。不自由なんですよ。コミュニティも狭くなったりしますし。だからこそ、その人たちのコミュニケーションの潤滑油として助けになっていると思うと、充実感があります。
そして何より「ありがとう」「本当に助かった」「また、お願いします」と言われる喜びを大事にして欲しいですね。


 −お話を聞いていて、同僚との関係や社内の雰囲気も風通しが良さそうですが、いかがですか?


とても良い環境だと思います。仕事においては国籍や地域に関係なく、みんないたって真面目ですね。ネパール人だから、とかブラジル人だから、という風に言う人って多いじゃないですか。コールセンター長をやっている僕からすると、国籍関係なくみんな真面目にやっているんだよ、と言いたいです。


 −プライベートでの付き合いはどうですか?


同僚や部下ともよく飲みに行ったり、遊んだりします。本当に仲良いんですよ。コロナ期間中は、ほぼ全員でオンライン飲み会をしたりとか。今はコールセンターが散らばっていて、カリフォルニア、タイ、ネパール、ブラジル、福岡にあるのですが、気軽に飲み会などはできないので会えないんですけど、よくオンライン飲み会をしますね。

関東に住んでいる方達とはみんなで飲み会を開いたり、この間は、みんなが家族や恋人を連れて奥多摩の川で魚釣りやバーベキューなどをしました。社長も大らかな人なので、辞めた社員さんをそういう場に誘ったりして。
本当に楽しくて良い職場に恵まれました。


 −素敵な職場なのが充分に伝わってきましたよ。最後に、まだ見ぬ仲間へのメッセージをお願いします。


僕とこの会社で働きたいと思ってくれれば嬉しいです。
あなたの能力と経験を活かし、楽しい職場で一緒に働いてみませんか?

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